原発の停止中と再稼働、どこが違うの

2015年現在で日本の原子力発電所(以後は原発)は全国で17箇所におよび、合計44基の原子炉が存在するとされております。

 そのうち九州の再稼働された川内(せんだい)原発の2基を除くその殆どが点検並びに東日本大震災を機に運転停止中のままになっています。

東日本大震災から間もなく5年を過ぎようかといったこの時期に、今だにその殆どが再稼働できないとするならば、その要因は、まぎれもなく福島第一原発の事故にあると言えましょう。

 震災の前の年、私の娘が嫁ぎました福島県いわき市のご家族も、何とか命だけは助かりましたものの、家や車は流されてしまいました。命が残った部分は不幸中の幸いと言ってよいのか、でも残念な限りです。

 1995年の神戸淡路大震災のときも、崩壊した建物内の生存者の救援活動も儘(まま)ならないうちに、引き続き発生した長田区での大火災「あの火災さえなければ」と更に悔しさを感じたのは私だけではないとおもいます。

ところが三陸沖を震源としましたこの東日本大震災では、想像を絶する大津波が追い打ちをかけました。そして、さらに被害を拡大させてしまったと言うことです。

「津波さえなければ」と誰しもが悔しさを感じていた矢先、福島第一原発の事故により放射能汚染といった終わりの見えない被害が、今尚、完全復興を難しくしてしまいました。

 しかし、地震・津波までの被害は天災が原因するものですが、放射能汚染の場合は、その実態が明かされる度に、限りなく「人災によるもの」と私は悔しくてなりません。

人類が造った物の中で、私が目にするあらゆるカテゴリーの中には、OFF(オフ)できない製品など見たことが有りません。今使っているパソコンにしましても、フリーズのため、終了操作ができなくとも、電源ボタン長押しで「強制終了」することが可能です。また、「強制終了」が出来なければ、デスクタイプならコンセントを抜くことで、ノートやモバイルならバッテリーを取り出すことで、仮に取り外せなくても、数日すればバッテリー切れして(オフ)してくれます。(原発採用前の説明でこれを知れば、私なら却下しますが皆さんはいかがでしょうか)

 一度、核分裂させてしまった核燃料はそのエネルギー能力時間の経過により変化するとしても、50年、100年、もしかしたら何世紀にもおよんで放射能汚染を撒き続けるかも知れません。例えが不適切だとすればお許しいただくとして、「人の手で制止できない」ところは、まるでホラー映画に出てくる「ゾンビ」と例えたいほど厄介なものです。

福島第一原発は、あの地震直後、一度は「緊急停止」しているんです。「運転停止」「緊急停止」の違いからも、原発の恐怖を知ることが出来ます。

 原子力発電所は年に一度、「運転停止」をして安全点検をする義務があるようです。 「運転停止」とは、人的操作で核燃料の核分裂を制御しながら、熱エネルギー(水蒸気)の活動を停止させることを言います。しかし、これで原子炉の中の「ゾンビ」が居なくなったのではありません。水に浸けられた「ゾンビ」は中性子と言った「餌」を与えられと激しく踊りだします。その熱くなったゾンビの働きで(水蒸気)が抽出できる訳です。だから居なくなったのではなく、水の中で眠っているだけなんです。

また、核燃料(ゾンビ)の体は眠っていても異常に体温が高く、常に水で冷やし続けないとゾンビそのものが溶けだしてしまい、その熱は金属をも溶かしてしまします。更に人間にとって最も恐ろしいとされる、何百種類もの放射能を出し続けるのです。それも何十年、何百年と続くと言われています。

 それに対し「緊急停止」は、読んで字のごとく危険を感じたセンサーが、運転を自動的に停止させたことを言います。当然、ゾンビも水の中で眠って頂きます。

 福島第一原発の場合、緊急停止のあと、核燃料(ゾンビ)が入った原子炉を冷やすための冷却ポンプの電源が地震の揺れにより、ショートして切断されてしまいました

 したがって、地下室の非常用電源(発電機)で冷却ポンプを動かしどうにか原子炉を冷やし続けていました。当然発電機の燃料(石油)が尽きるまでには、急いで交流電源を復旧しなければなりません。

 しかしこのあと、誰もがご存知の津波によって発電機も水没、地震だけを想定していた中での「緊急運転」はもろくも打ち砕かれました。

 あれから5年を経過した今も尚、ゾンビは炉心の底部分で溶解を続け、決して人は寄せ付けない高レベルの放射能を出し続けています

 でも、人間の知恵って凄いようでどこか抜けているんですね。「非常用電源」と言いながら、水に浸かってしまうような「地下室」に設置するなんて、水中で石油ストーブ燃やすようなもんです。そもそも電力を供給している会社が、そのお膝元で地震の揺れでショートす   るような配線を許したなんて、油断でしょうかね。その愚かな人間が、いくら知恵を絞って防御したとしても、自然はそれを上回る災害を連れてやってくるような気がします。

 昨年の鬼怒川氾濫なんてまさに想定外だったはず。それでも人類としてやれるところまでやる、英知を絞ってあきらめないのも人間の魅力ですよね。

 原発の開発はアメリカ?ロシヤ?いずれにせよ、今となってはこの地球上に核燃料(ゾンビ)が開発されてしまったことは否定できません。誰が始めたかは、もはや問題ではありません。

今はそれをいかに穏やかに消滅させるかが現在を生かしてもらっている我々の責務となってしまいました。決して次世代に先送りしてはなりません。したがって、これ以上ゾンビを増やさないことも大切ですが、既に世界に存在する18万トン(2007年)の使用済み核燃料をどうするか。理想は世界規模の技術プロジェクトを構築し、再処理も含め日増しに技術開発を進める必要を私は感じています。

 ここまでで、原発を全て廃炉にするだけではもはや問題解決にはならないことをご理解いただけたと思います。

 当然、これ以上ゾンビを増やすのもお断りです。それが基本です。だからと言って、「明日から日本の原発全てを廃炉に向けての方針転換。そして、使用済み核燃料はフランス企業に有償で処分してもらう」そんな利己主義は許されません。(過去には一部処分してもらってる気がするんですが)

 ならば、日本の領土内で高濃度放射性廃棄物を埋設するために候補地を募ります。と言っても難しいしでしょう。放射性廃棄物処理技術の開発やその資金源はとなると、更に難しいものとなるでしょう。誰だって負の生産の予算なんて賛同しないはずです。

 今のところ六ヶ所村の再処理工場では再処理後の放射性廃液をガラスで固めたうえ、地中深く埋設する予定ですが、その候補者選びに難航しているもようです。

 ただ技術開発のテーマを「使用済み核燃料」(ゾンビ)の「低放射能廃棄物化」とするならば、嫌でもそのゾンビと継続した関わりが必要となってくるでしょう。

 そして、その関わりの結果として、原発の試運転が必要となれば、安全を担保できるであろう範疇での「再稼働」と言った手段も考えられなくもない。(運転停止中も天災による事故回避は困難とするならば)

開発を継続(50~100年単位)するためには、その企業と技術の発展は欠かせない。ましてやその稼働利益の獲得も研究開発には必須であります。

 当時から抱いていました原発の私の疑問。この度3.11を迎えるに当たり今、改めて学習しました結果、「運転停止中」の原発もその安全を超える災害が訪れるなら、それもまた、福島第一原発のような放射能被害は免れないと言うことでした。

「運転停止中」だからと言って核燃料や、その使用済み核燃料、つまりゾンビは消滅していません。眠っているだけなんです。

一刻も早く、使用済み核燃料の「低放射能廃棄物化」を目指して声を掛け合いませんか。

Willful gunny

過去から現在の出来事を実体験から解説しています。

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