離陸より難しい着陸

この度は八尾飛行場の小型飛行機墜落事故により、犠牲者となられました方々に、ご冥福申し上げます。(2016年3月26日夕方着陸時の事故)


 当然、私は飛行機のパイロットでもなければ、その道の専門家でもない。

私が初めて飛行機と言う乗り物に搭乗しましたのは1967年のこと、

当時は仕事の都合で大阪の伊丹空港から松山空港の往復で利用させてもらった。

乱気流の急降下も怖かったが、もっと怖かったのが、着陸直前の一連の動作にあった。

 着陸予定空港の上空に到着しているのに何度も同じ上空を繰り返し旋回をしている。

今まで水平だった主翼の先端が徐々に地上の方に傾いて行く、シートベルトの意味が今になってようやく分かった。体が地上に滑り落ちて行きそうだ。私の横の窓はもはやガラス張りの床である。その床の下には自動車道を走る車の姿が見えている。今の私には車を運転してる人がうらやましくてたまらない。


 「既に空港の真上に来ているのにどうしてアクロバット的な飛行をするのだろう」

滑走路があくまでの時間待ちを目的とした旋回であって、その半径が小さな分だけ傾きが大きくなる。この当然のメカニズムが、初搭乗の私には分からなかったのだ。

 「あ~早くあの高速を走っている自動車に乗りたい」と妙に地上の有り難さを感じた瞬間でもあった。

 いよいよ滑走路に向かっての降下が顕著になる。エレベーターが2~3階分一気に下がって行くような恐怖が繰り返される。気持ちが悪い「ここで横に傾いたらおしまいだ」これぐらいは分かっている私の心配にもお構いなく、右に少し傾く「やっぱり」と思った瞬間、今度は左に「この運転手大丈夫かよ~」

 しばらくすると地面にぶつかる衝撃があった。“ゴン”次に“ゴンゴロンゴン”と車輪が滑走路と接触したようだ。“ゴゴゴ~ゴゴゴギーギギギー、今度はタイヤと滑走路の摩擦の音と共にブレーキがかかったのがわかる。機体がきしむ音がする。

 おそらくシートベルトが無ければ、私の体はきっと数十メートル前に飛ばされたと思う。今まで感じたことのない制動力だった。それにしても滑走路の舗装が悪いのか振動がひどかった。

 同じ機に搭乗されてる皆さん、こんな恐怖を味わっていても、一言も苦情を言わないのはどうしてだろう、それどころか私と眼の会った皆さんの表情は「あら、どうかしましたの」って感じ。

 その後、遊園地に子供達を連れて行ったときは私だけはジェットコースターには決して近づくことはなかった。


 上空から見れば猫の額ほどの滑走路。だがそこに降りることは、無限に広がる大空に飛び立つ離陸よりも何倍もの恐怖を感じた私は特別神経質なだけだったのでしょうか。

 フォークシンガー、いや金八先生と言った方がイメージ頂けるだろう武田鉄矢さん。

二年ほど前のあるテレビ番組の中で「登山とは」一般的には頂上に登りきったことで目的が達成されたように思われがちですが、頂上から「無事下山」することが「登山」である。と強く語っていた。

 また、登りより下りのほうが滑落の危険性が高いため、より慎重を要すると言った意味の説明も私にはすごく印象的だった。

 著名な登山家がある有名な山の頂を征服したとテレビでニュースが報道されている。その報道されている映像は報道機関のヘリコプターからのものだった。

だから当時の私は、登山者とその関係者の方たちはそのヘリコプターに便乗して下山してくるものだとばかり思っていました。だって、下山されたことの報道なんてあまり記憶に無かったもんで。なんとお恥ずかしい限りである。

 私も武田鉄矢様と同様の年代ですが、彼はこれからの自身の人生を下り坂と例えておられました。

いかに上手く人生を下りきるか、出来るだけ周りの人を巻き込まず、自身も満足した下山が出来るかを「登山」に例えてお話しされていました。

 つまり、私の人生自身も飛行機や登山同様、いかなる場所に上手く着陸するかを急いで学習しなければならないようだ。

Willful gunny

過去から現在の出来事を実体験から解説しています。

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