お給料もう少し上げて
私が会社勤めをしていた時の事である。この会社は始業前の朝礼の中でその日の当番は朝礼の進行を務めると同時に近況を語らなければならない。当番は遅かれ早かれ全社員にプログラムされている。
目的の一つは人前でお話しすることに全社員が慣れることにある。さらにはその社員が今、何を考えているかを役員さんが知ることにあったようだ。
そんなある日の朝礼で、当日が当番だった若い社員が自身の給料の話題を話し始めた。決して金額に不満を訴えているような話ぶりでは無かったように記憶している。
幸か不幸か、滅多に出席されない会長がたまたま同席されておりました。
私は話が進むにつれ「これはマズイ」と止めてやりたくなった。
でも他の社員の様子はますます興味津々(しんしん)である。
私はついに「藤本君(仮称)、時間がオーバーしているので閉めてください」と話を止めに入った。
彼も気づいたのか、時間を理由に朝会終了の挨拶に入った時である、私の心配が的中したのである。
藤本君の話が終わるが早いかその場に居合わせた会長が席を立ち、もう一つマイクロフォンを要求した。
「藤本君?だったね、いつもご苦労様、今の話じゃないけれど君は今の給料に不満は無いのかね」
彼は「いいえ、有りません」
「もう少し欲しいと思ったことは無いのかね」
彼は先程よりも少し時間を空けて「いいえ、でも少しでも多い方がありがたいです」
会長は・・「どれぐらい上げて欲しいか言ってみなさい」
さすがの彼も、周りの社員の存在に気が付いたようで、「わかりません」と話を終わらせてくれた。
しかしこの後、会長は「藤本君、後で私の部屋に来なさい、あ、そう!君の上司と一緒に来なさい」
「それでは解散」と会長自らが言ってご自分のお部屋へ戻って行かれた。
心配的中どころかその藤本君の上司が私だったのです。
入社直後の彼に目標を尋ねたところ「社長になること」だったんです。
そんな彼も会長室では、これが借りてきた猫なんだ?と例えたくなるほどしおらしく下を向いていた。
会長は彼に朝礼の時と同じような質問をしていた「お給料、あとどれくらい上げて欲しい、考えてみるから言ってごらん、ここは3人だけだ」
この部屋には私と彼と会長3人だけだった。彼はようやく口を開いた「あと2~3万円ほど」
「なんだ、その程度か、私は10万円ぐらい言うのかなと思っていた」10万円と聞いて私も思わずこの話に乗ってみたくなったほどだ。
「10万円ぐらい上げるからそれだけ頑張ってみてくれんか、藤本君!」「ね、君はどう思う」と今度は私に振ってきた。私は即答をさけ考えているそぶりをした。
すると会長自ら「人って不満を言いだしたらきりがない、でも自信があるなら大きく要望すればよい、それは不満じゃなく、努力した者にだけ発言できる権利だ、そう思わんか君」続けて私に答えを求めた。
「はい、忠誠努力して要求せず、ですね」思わず私は朝礼で唱えている社訓を真似てしまった。
会長は「それは意味が違うよ」
「それも言うなら、“足るを知れ、足らざるを知れ”だよ、君も勉強が足らないね」
また叱られた。 会長はこの言葉を藤本君と私に伝えたかったようだ。
そう言えば、私が二年がかりである現場を担当した時、仮眠をとる現場の中で、精根尽き果てた私は、ここから飛び降りさへすれば全ての悩みから解放される。と夜間に一人28階まで上がったことがある。
しかし、ある識者の知恵をお借りしたりすることで、無事竣工した時はその悩んだ分だけスタッフみんなと涙を流すことができたのである。
そしてその落成式の席で我が社の会長を音調ブースから見つけた瞬間、私はなんと幸せ者なんだと親会社のスタッフに抱き着き夫々が涙したことを今、楽しく思い出している。
この時だった、いま問題の“名ばかり管理職”とは違い、夜間は全て残業扱いで手当てを頂き、敢闘賞だの社長賞だの、独身だったその頃、お袋にそれらを渡したことで、ようやく何日も家を空けた訳まで理解してもらったことがある。
「10万円ぐらい上げるからそれだけ頑張ってくれんか」と言ったあの日の会長の言葉を思い出した。“忠誠努力して要求せず”でもそれ以上頂けたじゃないか、今もこの会社は大きな心で上手に社員を育てているようだ。
しかし、後の社内検診でしばらく前に結核を発症したフィルムを診せられた。しかしその時は既に回復していると、“いい加減な検診だ”と気にもしていなかったのですが、会社からはしばらく現場の仕事を外されることになってしまった。
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