転 職

私は今、あるアメリカ人著者の本を読んでいる。と言っても、私の得意とする日本語に翻訳されたものである。

 数日前、買い物をする女房を待つ間、私は別の階にある本屋さんで衝動的に一冊の本を買った。 

パラパラッと2~3ページ読んでいて、書いてあることに、共感したからだ。


 今日、その本を、中ほどまで読んでいると、なぜか自分が「幸せ者」になっていたことに気が付いた。

著者は、「好きなことを仕事に」と語り、小タイトルの中で、「企業に勤めたからと言って、もはや何の保証もない」と言い、「終身雇用の時代はもう終わったのだ」と言い切る。 


 確かに、近年では大企業でも、決算報告で赤字を出したと言っては、簡単に社員のリストラを宣言するところがあり、年金生活の私にとっても、終身雇用についての安定感など全く感じない。

 もし、そんな会社の仕事が、「自分の好みでないのなら、転職をためらうことは無い」 そして、「自分好みの仕事に就くことで、仕事が楽しく、その先には、結果までついてくる」と、著者は転職の迷いに、なにやら助言をしているようだ。


 だが、現実は、転職をしたくても、生計を優先するために、現状の安定性は手放したくないと悩むのがごく自然であろう。

ここでも著者は、さらに書き続ける「この世に安定している物があるとするならば、それは自分の能力だけだ」と、環境に甘んじることを否定すると共に、ハングリーな、決断と行動を期待しているようだ。

 このことは非正規雇用を肯定する楽観論者のようにも見えるが、「仕事を楽しむ」中で、適度なスパンで「休み時間(休暇)を作る」ことが「働く者の幸せ」と、著者は幸せ論を優先させているのである。

 今から40年ほど前、私は社会人として初めてお世話になった会社、仕事は楽しい方ではあったが、忙しすぎて、10年で退社をしてしまった。

『同業者の引き抜きで転職するのか』と、後輩に聞かれたことが有る。

「いいや、いずれ一人で商売でも、できればいいかと・・・それで辞めるんだ」と私は答えた。

『今までと関連した商いですか?』 「いいや、今は何をするか決めていない」と私が答えると、『折角のキャリアを捨てて、新たなことに挑戦って、怖くありませんか』と後輩、 

 その時の私は、この著書に出て来たのと、同じような意味合いの言葉を返していたようだ。「10年間、無我夢中で会社にお世話になったお蔭かな、どんな仕事でも、少々の苦労なら乗り超えられると、妙に自身が有るんだ」と、私は答えていた。

 会社勤めを経験させていただいた上に、自ら独立への方向転換を選び、少々どころでは無かった、苦労も、十分味わうことが出来た。今、振り返ってみると、なんだか、二つの人生、或いは2人分の人生体験を、させて頂いたような「私は幸せ者」と、読書をしながら感謝をしているところである。誰に感謝かって、勿論、苦労をさせた家族と共に、触れ合った方、すべての人にである。

Willful gunny

過去から現在の出来事を実体験から解説しています。

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