一本の傘
3月14日の雨上がりの朝、私は廊下の雨戸を開けた。自然の明かりが欲しかったからだ。
廊下は朝まで電灯を点けたままにしているが、有り難いことに最近は日の出が早くなったせいで、雨戸を開けると廊下に日の明かりが差し込む。それは直射の日光ほどではないが、先ほどまでの電燈の明かりなど及びもしない。
実は、先月までは雨戸を開けても、なるべく外を見ないようにしていた。
原因は焼け焦げた、隣家の残骸が視界に入るからである。
昨年は、秋の未明のことである、今、開けているその窓を人が叩くような音で私は目を覚ました。てっきり不審者と決めつけ、用心しながら、まずはガラス戸をそっと開けてみた。でも、それだけでは雨戸の向こう側はまだ見えない。しかし私はただごとでない状況を想像してしまった。
アルミ素材の雨戸が、温かいではないか、いや、じっと手を当てると、むしろ熱く感じられる。
私はとっさに「火事だ」と直感した。そして恐る恐る、雨戸を開けてみた。残念だが私の直感が的中してしまった。
隣家の窓の輪郭から溢れる炎、その炎は、まるで炎か竜(えんかりゅう)が吠えているような恐怖を感じた。
それから数時間後、火元と、横並びの4件が全焼してしまった。私の家も半焼と診断された。残念だったのは、火元から、一人の犠牲者が出てしまったことだ。消防からは、私の通報が第一報と聞かされただけに、なお悔しかった。
私の家は、今年の2月になって、ようやく全ての部屋で改修が完了した。
続いて、隣の焼け跡の解体も先月にようやく着手され、1週間で土(つち)以外、何もない、味気ない更地になった。
ところが今朝の窓からの更地の風景は少し変わっていた。
花一輪ならぬ、傘一輪だ。しかも私の視線を感じているようだ。
どこから飛んできたのだろう。
亡くなった方の忘れ傘なのか、ここがちょうど犠牲になられた火元の方のお家の跡地だ。
「気にしなくてもいいよ、私の家は何とか住めるようになったから」
私は、胸の中でご冥福を申し上げました。
午後、2階に上がった時には既にその傘は無くなっていた。
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