ブラック企業が存在する根本原因はこれか?
私は昭和40年代、高等学校を卒業後、大阪市内のある中小企業に入社しました。右も左もわからず、女性の経理課長に向かって「おばちゃん」と言い、上司に「たーさん」とあだ名で呼ばれていた、高〇主任に向かって同じように「たーさん」と呼んでいました。
お蔭で、この世で初めて「いじめ」というものに遭い、先輩のお手伝いもさせてもらえなかった。初めての給料日、私は何一つ会社の役に立てていないことが申し訳なく上司にお給料を返却したことがあります。勿論受け取っては頂けなかった。そんなこんなで3か月もすれば「辞めたい」と悩み始めました。
母親に相談すると、「それはお前が悪い」「石の上にも3年、3年過ぎてからもう一度考えても遅くない」と諌められました。
ところが3年もすれば、むしろ対外的に信用を頂けるようになっていました。私はその期待に応えるべく責任感を全うする中で、会社側から残業時間を抑制するように指導を受けました。
しかし、竣工間近ともなりますと、私は逆に休日も惜しまず現場に出かけていました。
苦痛と思ったことはありません。仲間たちと共に竣工を迎えることで、むしろ、その苦労の分だけ充実感と喜びを味わうことが出来たからでしょうか。
ところがそれから約7年ほど経ちましたか、私をサポートしてくれていた社内の仲間達に、なんと自らがその過酷な就労を迫っていたことに、そのご家族からの声で知らされました。
勿論上司には、スタッフの増員など、その改善策を私の進退を賭けてお願い致しました。それでも会社側からは “人手が集まらない” を理由に、3年越しのお願いも、実現しなかったのです。
私はその旨を仲間達に説明するとともに、その家族にはお手紙でお詫びをお伝えし、熱くなりすぎた私自身が、結局は退社することになってしまいました。だけど、お蔭様と言っていいのか、それまで毎日のように悩まされていました私の持病が退社した数日後から、すっかり良くなっていたことを今も覚えています。当時は「ストレス」なんて言葉を知らなかっただから、それはそれでよかったのでしょう。大きな現場が竣工し、一段落後のある日、社内の健康診断の結果、当の私が気づかないうちに結核を発病し、自然治癒していたと、そのフィルムをもって、担当医師から聞かされました。今の時代なら裁判沙汰になっていたかもしれませんね。
しかし当時は日本そのものが好景気に湧いていた高度成長期、報酬に関しても、本給も年々昇給する中、敢闘賞や社長賞などの名目で、年功以上の評価をいただいており、今でも感謝すら致しましても、会社を恨むことなど一切ございません。これはその後に小さいながらも私自身が経営者を体験したから言えることなのかも知れません。
GDP(Gross Domestic Product)国内総生産が今や中国に追い越され、ドイツにも迫られる日本、そう簡単に当時のような経済成長は望めないでしょう。
世界国、日本県とグローバル化した中で、世界経済の波に流されようとも、それらをせき止められる根拠など、私には思いつきません。
それどころか、格差社会、非正規、貧困高齢者などネガティブな言葉だけがクローズアップされている昨今です。
ブラック企業なんて言葉、いったい誰が言い出したんでしょうか。
腰に刀を差したお侍の時代、江戸幕府をさしずめ今の内閣とするならば、年貢を納める農民が労働者なんでしょうか。となれば、やっぱりブラック企業というのは、農民から搾り取る各領国の藩に相当するわけで、その社長が藩主と言うことになりましょう。
因みに農民一揆は現在の労働組合のストライキと言えるでしょう。
つまり、十五代も続いた江戸幕府の時代から、その程度の違いはあるにせよ、既にブラック企業といった実態は存在していたのかもしれません。
しかし、私の場合は職種と立場の都合上、時には夜も寝ないで仕事を続け、休日も休まず出勤したからと言って、その会社を今で言う、ブラック企業だったと思ったことは一度もありません。私自身の信用を維持するために私が選択した結果のことで、それは多少、身体を犠牲にしたかもしれませんが、今の社会でも仕事をされている多くの方々が、身を粉にして労働されている部分を比べればさほど大差は無いんじゃないでしょうか。
と、すれば、私たちの時代との違いは、それに報いる報酬に満足できないからではないでしょうか。またその報酬はある意味、その労働者の価値を評価しているわけで、その証こそが励みとなります。社会に生きる人間は皆、証しを求めているのです。
いま、まさに猫ブームでありますが、「猫の手も借りたい」などと言った故事ことわざがあります。今の時代なら「人の手」以上に生産ロボットが24時間、それも寝ないで働いてくれます。癒しブームの今なら私たちより、猫の方がしっかり稼いでいるかも知れません。
それならサービス業はと言いますと、あなたも使っているスマホのアプリがその殆どを担当してくれます。もうしばらくしますと、車の自動運転が実用化して、ドライバーが不要となるのも時間の問題のようです。
だから企業側から見れば日ごとに労働者の評価を低く見積もってしまうのも仕方のないことかもしれません。
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